2013年10月2日水曜日

John & YOKO

その昔...私が生まれる前から放送されていたアメリカの深夜トーク番組『ディック・キャベット・ショー』。数年前、この番組にジョン・レノンとオノ・ヨーコが出演した際のDVDを見つけた。
ビートルズ解散後、John&Yokoが始めてTV出演した貴重な映像が収録されているのだけど、二人の自由奔放且つ世界を敵に回すかのような仲睦まじい様子が、とてもユニークで面白い。

John&Yokoは、ロンドンのギャラリーでのYokoの個展のプレビューで出逢った。部屋の中央に脚立が置かれ、それを昇り天井からぶら下がった虫眼鏡で天井の小さな文字を見るというYokoの作品。Johnが天井に"YES"という心温まる文字を見てYokoとの出逢いに直感を感じたのは有名な話。 
その後二人は世界的なBigカップルとして様々な意味でも注目され続けるのだが、反面、Yokoは "ビートルズを解散に追いやった人" と言われるほど奔放で情熱的な女性としても知られていった。
数年後...自宅からセントラルパークまでの数十メートルの道すがらJhonが撃たれてしまうという悲劇。銃弾が彼を射抜いた瞬間、寄り添って歩いていたYokoに響いたその振動はいったいどんなだったのだろう。。想像するだけで胸が張り裂けそうになる。その振音は、ずっと彼女の中に深く刻まれて消えることはないのだろう。トレードマークの大きなサングラスは、溢れる涙を幾度となく隠してきたのかもしれない。

***

YOKOさんには、本当に深い悲しみを知った人にしかない強い発信力がある。様々な評価のある女性だが、私は一途で愛のある彼女の "その後" の生き方がとても好き。

アラフォーの私は考える... "思えば人生半分まできたのだなぁ" と。
私に発信力はないかもしれないけれど、女性として、何かそろそろ示していかなければならないな、と考える。

imagine
10年後の自分を想像してみよう...
コーヒーを飲みながら。✏t 



2013年9月3日火曜日

晩夏

このモノクロ写真はある古物商から少し前に譲ってもらったもの。フランスのどこかの海岸のようだ。白黒のスチルなのにまぶしい日差しやその場の喧噪までをも感じる。カラー写真以上に色鮮やかに目に映る。世間では夏休みも終わり、風には少しずつだが秋を感じるようになってきた。今年の夏も海に行くことなくもうじき終わろうとしている。暑さが尋常ではなかった夏も過ぎ行くこの時期はなんだかひとを感傷的にするのであります。a


2013年7月19日金曜日

Café Daval

Parisのことは深く知らない私だが、ParisはNYよりもどこよりも「音」「色」「香り」 に独特の印象がある街...ということは知っている。

3年前の夏、そんなParisに2週間滞在した。
いつも休暇がとれると無条件にNYへ出向いていたのだが、何か自分の中の流れを変えたかったのだろう... その年はParisを選んだ。

滞在したOperaエリアは、オペラ座にもルーブルにも歩いてゆけるアカデミックな場所で、オノボリサンな私が素敵なParis滞在をエンジョイするにはベストなロケーションだった。
NYほど勝手がきかない街なので、チェックポイントを丹念に調べたメモをポケットに忍ばせて、毎日毎日Parisを歩いた。

滞在中、オペラ座バレエが「竹取物語」を上演しているというのでその珍しさにチケットを購入すると、上演劇場がオペラ座ガルニエ宮ではなく、バスティーユにある新オペラ座と表記されていた。
私はちょっと嬉しくなった...なぜならば、ポケットのメモにある《バスティーユ駅から徒歩10分のカフェ》とセットで動けるからだ。

Operaから地下鉄で30分、もはや私の頭の中はバレエよりも"駅から10分のカフェ"のことで一杯だった。実はこのカフェ、BROWN'S「A」が《Parisの良さそうなカフェ》として渡欧前に情報をくれた店だった。
バスティーユは、地下鉄から上がるとすぐにフランス7月革命を記念して創られた美しい塔が目に入る。ポケットからメモを取り出し、地図と照らし合わせながら "駅から10分のカフェ" を目指した。バスティーユ駅から伸びる小道には素敵なパブや可愛いコンフィズリーの店が軒を並べ、ここはParisの中でも割と好きなエリアかもしれない...と思った。
本当に10分歩いてたどり着いた瀟洒なパサージュに、目的の店【Café Daval】があった。赤茶色で縁取られた、可愛らしくも老舗の風格を備えた店構えは、期待を裏切らないことを約束してくれるような空気を醸し出していた。店の前でプリントワンピースを着た可愛い初老の女性が水撒きをしていて...このマダムが Café Daval のオーナーだった。私が早速「先週日本から来て、このカフェにきたくて、、それでそれでコーヒー豆も買いたくて...」と一気に話すと、どうやら英語があまり得意でないマダムがカタコト英語で「まぁまぁ、豆を買う前にまずここに座ってコーヒー飲んで。どんなコーヒーがすきなの?」と聞いてきた。「フランスらしい美味しいコーヒーで酸味の少ないものを」と話すと、なんとなく理解してくれたマダムが店内に戻り、期待通りのコーヒーを淹れてきてくれた。暫くそのコーヒーをいただきながら、私とマダムは英語と仏語で、お互いがわかる単語を拾い紡ぎながら会話をした。どうやらマダムは旦那様に先立たれ、今は1人で店を切り盛りしているのだという。毎日店を開け、豆を焙煎し、ゲストに好みのコーヒーを淹れて、コーヒーを袋に詰める...すべてご主人の仕事を50年横で見てきた通りにしているだけだというが、豆の話からコーヒーの淹れ方まで、それはもう完璧なものだった。ご主人の軌跡を大切に守り引き継いで豆の選別・焙煎されるマダムのコーヒーは、何にも例え難い貴重で可愛らしい味がした。購入する豆を選びながら "私もコーヒー屋さんになりたいんです" と話して名刺を渡すと「まぁ!ではまたいつか会いましょうね」と微笑みながら、レジ脇の壁に私の名刺をテープで貼ってくれた。

Parisには、DEUX MAGOTS や Café de Flore に代表されるようなゴージャスで素敵なカフェがたくさんあるけれど、私にとって【Café Daval】は、音・色・香り+マダムの笑顔がいまでも鮮明に蘇る、特別 & 格別な "コーヒー屋さん" として、どうしたってずっと忘れられない。✏t


2013年5月22日水曜日

古物の楽しみ方。



僕が古物好きなことは以前もこのブログに記したが、欧米の古いものと戯れていて面白いなと感じることに、あるひとつの特殊な目的達成のためだけに作られた道具の存在がある。
金持ちの道楽か、はたまたそれを所有することでその財力を人に誇示する為のものなのか。
これらは特に貴族や、資産家が使っていたもののなかに多く見られる。

例えばアスパラガス専用のプレート。
フォークを刺す時にアスパラガスが皿から転がらない様に底に動きを止める溝がある。
男のたしなみ、ひげ剃りの時だけに使う髭皿。
皿のリムの一部分に凹状のへこみがあり、そこに首を突っ込んで受け皿として使うもの。
切手を濡らすローラー式のスタンプウェッター、よく目にするものではフィンガーボウなんかもそうだ。
それはそれで「用の美」を湛えているのだが、使途を考えればそんな無駄なものを作らずとも代用品がいくらでもありそうなものたちだ。
それに比べ昔の日本人はひとつの道具で多くの目的を果たした。
箸などはその典型だ。
欧米の様にナイフ、フォークを持たずともこれ一つあれば、たいていの食事は事足りる。
ミニマルでありながらマルチタスクをこなす究極の道具だ。
無駄のないフォルムも美しい。


お茶の世界に「見立て」というものがある。
「本来は茶の湯の道具でなかったものを、茶の湯の道具として用いること」
千利休をはじめ多くの茶人が独自の美意識によってこの「見立て」を愉しんだ。
日本人は想像力に富み、ひとつのものを色々な角度から捉え、利用し、愛でてきた。
多くのモノを持たずとも、いろいろな美の楽しみ方を知る才能が本来日本人の血に宿っているのだと思う。
自分流古物の愉しみ方のひとつは日本人の持つイマジネーションを通して、西洋の無駄を愛でるということである。


写真は我が家の間仕切りの取っ手に転用した昔の木製冷蔵庫のハンドル)




2013年5月17日金曜日

Dean & ...Mr.Deluca

幼い時の遊園地やおもちゃ屋さんを訪れた時の高揚感は、大人になればなるほど得難いものとなる。

NY South Houston(SOHO)の一角に、その記憶がよみがえる場所がある...『Dean & Deluca』。重く大きな扉を押しあけると、そこには大人でもはしゃぎたくなる大きな空間が広がる。

現在日本でもとても有名なこの店は、ジョエル・ディーン氏(故)とジョルジオ・デルーカ氏によって1977年にスタートした。チーズにパスタにオリーブオイル、ブレッドにスィーツがアート作品のように高く積み重ねられ、ショウケースのお総菜はみたことのない絶妙な組合せで鮮やかな色を放つ。かつてこんな表現で綴れる食材店、デリがあっただろうか?

Dean とDelucaは「美味しい食事には楽しい会話がある、そして人が集まり生活が豊かになって、大人も子供のように嬉しくなる。それを多くの人に提供したかっただけ」だという。まさに彼らは、高級食材を売っているようであって、実は、最高の『MOMENT』を提供していたのである。
食品を買いに来たつもりが、なんだかとても素敵な時間を過ごせた、もちろん最高に美味しいものにも出会えた!...いつしか彼らのそんな願いそのものの店になった。
そんな店には、アンディ・ウォーホールも足繁く通った。

東京というのはすごい所だといつも思う。世界中の素晴らしいものがどんどんやってきて、なんでも手にはいる。
でも、空気や風土や感覚の誤差を埋められないまま、なんとなく東京に溶け込んでいるものも多い。日本らしさ、東京らしさ、ってなんだろう..と最近よく思う。

BROWN'Sは、ロゴを始め様々なタイトルに英語を使ってはいるが、我々は間違いなく日本人であり東京人である。そして日本で、東京でコーヒーを作製して、コーヒーを介して沢山の人々に出逢っている♡

DEAR Delucaさん、
BROWN'Sも、大人がワクワクできるそんな粋なMOMENTをこのtokyoで提供していきたいな、と思っています。✏t 



2013年2月12日火曜日

Special thanks

Special thanks to...レコードのジャケットやクレジットロールの下部にみつけることができるこのセンテンス。ここに名前が連なる人たちは、なんかカッコいいなぁと思う。その作品や物事に影ながら影響を与え支えになった人々がここで記される。

BROWN'S Cafe & Beans は...実は「コーヒー豆屋さん」ではない。コーヒーは売っているのだけれど、受け取って欲しいのはその先にある「コーヒーが誘ってくれる幸せな時間」。だからそのためにも、最高に幸せな1杯になる美味しいコーヒーを提供してゆきたいと思う。
そんな時間を提供したいために思いを込めてブレンドするのだが、そのための最高の豆の提供と焙煎を担ってくれるコーヒー問屋がある。

出会いは5年前に遡るが、美味しいコーヒー豆を扱うその店に、私は毎週末1日だけアルバイトに入った。当時、都内のコーヒーショップ数店舗にアルバイトさせてもらえないかとアプローチしたが、別の仕事を持ちながらのOLアルバイターに扉を開いてくれるお店はなかった。ところが、そのお店だけは "休まない" という条件付きでアルバイトのチャンスをくれた。しばらくしてだいぶ慣れてきたころ、勇気を出して "コーヒーをアレンジしてオリジナルをつくってみたい" と話しをした。そしてついには老舗のコーヒーを前にして "香料もつけてみたい..." と切り出してみた。
当然、二つ返事のOKはなかった。しかし数日後「それを飲んでみたい」とオーナーから連絡があった。私は店の豆を持ち帰りブレンド、半分には天然香料の着香をほどこし恐る恐るアレンジコーヒーをオーナーに持参した。老舗コーヒー問屋の美味しい豆に着香をするなどもちろんご法度。どんな回答が返るかとても恐怖だった。

「美味しいですね...いいと思います、やってみますか」

これがオーナーからの返事だった。
大きなチャンスをいただいた。

人生は、その時々に出会った人から様々なものことを与えてもらいながら進んでゆく。家族でも兄弟でもない人々からも。。しかし受け取りっぱなしではいけないのだ。人生半ばにくると、与えられるだけでは人生も地球も回らないことが分かってくる。だから与えられたら、それを大事に育み一回り大きくして相手に与えられる人でありたいと思う。

BROWN'Sの販売用コーヒーの裏には製造ラベルが貼られているが、ここにいつも目には見えない一行を入れている...「Special thanks to」の一行。
私は日々増えてゆくここに記される人々に感謝しながら、コーヒーをちゃんと淹れていきたいとおもう。✏t

2013年1月16日水曜日

「普通」


普通であることは難しい。 
飛び抜けた特徴をもっていないということは、全てにおいて「平均的」であるということで、
「平均的」という状態をつくるには実は努力が必要なのだ。

BROWN’Sのオリジナルブレンドは美味しいとよく言われる。(すみません、ちょっと自慢です)
そして毎日飲んでいるのに飽きないとも言われる。
そう、それこそがこの珈琲に我々が託した最大の特徴なのだ。
世の中に美味しい珈琲は沢山ある。
正直言えば、このオリジナルブレンドよりも美味しい珈琲は世の中にごまんとあるだろう。
しかし、これらのなかで毎日飲んで飽きない珈琲は?と言えばどうだろう。
ぐっと数は減るのではないだろうか。

BROWN’Sを代表するカオともいえるこのオリジナルブレンドは「普通に美味しい」珈琲を目指した。
裏を明かせば試作品の中にはこのブレンドよりももっとエッジの利いた美味しい珈琲が沢山あったのだ。
しかしそれらを敢えて選ばず何度もカッピングを繰り返し、このブレンド、この焙煎にたどり着いた。
その判断は間違っていなかったと確信している。

先日マルシェであるフレンチのシェフとお話しする機会に恵まれた。
その方曰く「僕は普通に美味しい料理を作ることを心がけている。美味しすぎるものは毎日食べられないから。」
同志を得たような気持ちになった。
実は同じような話しを以前寿司屋の大将からも聞いた事があった。
うろ覚えだが、本当の酒好きは安い酒を飲む。幾ら旨くても大吟醸は沢山飲めないから。というような内容だったと思う。

そうなのだ。
このブレンドは、食事と一緒に、普段の珈琲タイムに、そして
日々の雑事から離れ、今日起きた嫌な事を忘れ、自分の時間を取り戻し楽しんで頂くために、
「さぁ、やるか」とさっきより少しだけ前向きな自分になって頂くために、飲んで頂きたいと世に送り出した珈琲だ。
シーンやオケージョンを選ばず、いつでも、どこでも飽きずに飲んで頂ける「普通に美味しい」珈琲。
それこそがBROWN’Sオリジナルブレンドが担う役割なのだ。

そしてそのフレンチのシェフも最後に付け加えていた。
「実は普通に美味しいものを作るのが一番難しいのです」 と。