2013年5月22日水曜日

古物の楽しみ方。



僕が古物好きなことは以前もこのブログに記したが、欧米の古いものと戯れていて面白いなと感じることに、あるひとつの特殊な目的達成のためだけに作られた道具の存在がある。
金持ちの道楽か、はたまたそれを所有することでその財力を人に誇示する為のものなのか。
これらは特に貴族や、資産家が使っていたもののなかに多く見られる。

例えばアスパラガス専用のプレート。
フォークを刺す時にアスパラガスが皿から転がらない様に底に動きを止める溝がある。
男のたしなみ、ひげ剃りの時だけに使う髭皿。
皿のリムの一部分に凹状のへこみがあり、そこに首を突っ込んで受け皿として使うもの。
切手を濡らすローラー式のスタンプウェッター、よく目にするものではフィンガーボウなんかもそうだ。
それはそれで「用の美」を湛えているのだが、使途を考えればそんな無駄なものを作らずとも代用品がいくらでもありそうなものたちだ。
それに比べ昔の日本人はひとつの道具で多くの目的を果たした。
箸などはその典型だ。
欧米の様にナイフ、フォークを持たずともこれ一つあれば、たいていの食事は事足りる。
ミニマルでありながらマルチタスクをこなす究極の道具だ。
無駄のないフォルムも美しい。


お茶の世界に「見立て」というものがある。
「本来は茶の湯の道具でなかったものを、茶の湯の道具として用いること」
千利休をはじめ多くの茶人が独自の美意識によってこの「見立て」を愉しんだ。
日本人は想像力に富み、ひとつのものを色々な角度から捉え、利用し、愛でてきた。
多くのモノを持たずとも、いろいろな美の楽しみ方を知る才能が本来日本人の血に宿っているのだと思う。
自分流古物の愉しみ方のひとつは日本人の持つイマジネーションを通して、西洋の無駄を愛でるということである。


写真は我が家の間仕切りの取っ手に転用した昔の木製冷蔵庫のハンドル)




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